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現代語訳

こういう訳で、尾張国に着いて、尾張国の国造の祖先、宮主媛の家にお入りになった。そして結婚しようと思ったけれども、また帰還するときに結婚しようと思って、契りを定めて東の国にお行きになって、ことごとく山河の人を害する神、また従わぬ人どもを言葉でもって服従せしめ鎮めた。

こうして、ここに相模国に着いた時、そこの国造が偽って、「この野の中に大沼があります。その沼の中に住む神は、甚だ威力ある神です」と申し上げた。そこでその神を見物しに、その野にお入りになった。

するとその国造が、火をその野に放った。そこで、騙されたと知って、その叔母・倭媛命の下さった袋の口を開けて見ると、火打ち石がその中にあった。ここで、まず御刀でもって草を刈り払い、その火打ち石で火を打ち出して、向かい火をつけて(自分の周りの草を)焼いて(国造のつけた火を)退けて、生還して国造らをすべて切り殺して、(死体に)火をつけて焼いた。そのため、今(その地を)焼遣という。

原文書き下し

故、尾張國に到りて、尾張國造の祖美夜受比賣[みやずひめ]の家に入り坐しき。乃ち婚ひせむと思ほししかども、亦還り上らむ時に婚ひせむと思ほして、[ちぎ]り定めて東の國に[]でまして、悉に山河の荒ぶる神、及伏はぬ人等を言向け和平したまひき。

故爾に相武國[さがむのくに]に到りましし時、其の國造[いつは]りて白ししく、「此の野の中に大沼有り。是の沼の中に住める神、[いと]道速振[ちはやぶ]る神なり」とまをしき。是に其の神を看行[みそな]はしに、其の野に入り坐しき。

爾に其の國造、火を其の野に著けき。故、欺かえぬと知らして、其の姨倭比賣命の給ひし嚢の口を解き開けて見たまへば、火打其の[うち]に有りき。是に先づ其の御刀以ちて草を苅り撥ひ、其の火打以ちて火を打ち出でて、向火[むかひび]を著けて燒き退けて、還り出でて皆其の國造等を切り滅ぼして、即ち火を著けて燒きたまひき。故、今に燒津と謂ふ。

尾張國造の祖
天火明命、つまり天照国照彦天火明櫛玉饒速日命の子、天香山を太祖とする。尾張は愛知県あたり。
美夜受比賣
天香山から十一代目にあたる。美夜受比賣は、五郎媛[いついらひめ]乎止女[をとめ]宮主媛[みやずひめ]と、3つの名を持つ。尾張連の氏神熱田神社の摂社・松娯神社には、川で布を晒していた美夜受比賣は、通りかかった倭建に火上への道を尋ねられたが、聾者を装って答えなかった、との社伝がある。火上は彼女の父、乎止与[をとよ]の館のある地。
相武國
神奈川県。
道速振る神
荒ぶる神とは違うものらしい。恐らく、荒ぶる神は人を害するもので、ちはやぶる神はその善悪に関わらず、威力があるものを言うのであろう。千磐破る、霊速ぶる?
其の神を看行はしに
荒ぶる神ではなかったからこそ、「取りに」ではなく「看行なはしに」、のんきに見物しに行っているのである。これについて、守屋俊彦氏は「沼の神を看る─倭建東征物語の発端─」で、神の姿を見ることへの禁忌(専門的には「見るなのタブー」という。決して見てはなりませんと言われたのに見ちゃった型説話、鶴の恩返しなどのルーツ)を冒しており、倭建の東征は神への冒涜の連続であると指摘する。
火打其の裏に有りき
これもやはり、野焼きに巻き込まれた場合の対処法とともに授かったのだろう。倭比賣は、この頭の弱い甥に、何くれと心を砕いてやっている。 
其の御刀以ちて草を苅り撥ひ
後段に「其の御刀の草那藝劒」とある。
燒津
日本書紀は駿河国の焼津とし、事実と符合する。相模国に焼遣との地名は残っていない。或いは、相模国造反逆の事実と、焼津の地名起源説話を無理やりひとつにしたための不条理か。