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山の辺の道

山の辺の道とは

山の辺の道簡易マップ

奈良には古代の幹線道路がいくつもある。なかでも「山の辺の道」といえば、『万葉集』や『古事記』にも登場する有名な古道。笠置山地のふもとを南北に走り、北は奈良市歌姫、南は桜井市金屋に達する。

三輪周辺は往時の面影を感じさせる史跡や古社が多い。記紀で言えば、崇神・垂仁・景行天皇の頃の王都が置かれたあたり。かのヤマトタケルが実在したなら、きっとこのあたりで少年時代を過ごしたのだろう。

崇神天皇磯城瑞垣宮跡

磯城瑞垣宮跡石碑(90年撮影)

山の辺の道の南の起点は、三輪山のふもと、金屋の海柘榴市[つばいち]観音あたり。伊勢・奈良・難波へ通じる道が交錯する交通の要衝で、日本最古の市場として栄えたという。男女の出会いの場であった“歌垣”(カラオケ合コン?)が行われた地としても名高い。

崇神天皇の師木水垣宮の跡に比定されているのもこのあたり。木立の中にひっそりと石碑が建てられている。

大神神社

重文の大神神社拝殿(92年撮影)

大神神社[おおみわじんじゃ]は、国土を開墾した大己貴神と少彦名神、大己貴神の治世を助けた大物主神を祭る。御利益は縁結び、厄除、治病、酒造、製薬ほか。

祭神の大物主神は、酒造の守護神で蛇の姿をしているとされるので、お供えは清酒と卵が定番。軒下に樽が山積みなのはいいとして、境内のあちこちに散在する生卵と開封ずみワンカップ清酒はその後どうなるのであろう。まさか境内に棲む蛇のみなさんが…てな訳はないが、このあたりの人は蛇を三輪の神様のお使いとして大切にする。小4ぐらいの女の子が、「ここでみぃさん(蛇)見ると縁起がええねん。絶対いじめたらあかんで」と、連れの大人に教え諭していた。

大神神社周辺

展望台より(92年撮影)

山の辺の道は大神神社の杉鳥居前にいきなり出てしまう。ひなびたムードが好きな向きは、ちょっと参道も歩いてみたい。平日も屋台が出て、地元の野菜や特産三輪そうめんの“ミミ”(味噌汁に入れるとうれしい)も並ぶのんびりムード。お店の人がお客さんと話ばかりしている横で、犬が店番のつもりなのかやけにきりっとして座ってたりする。ええ子やねぇ、ごほうびにおねいちゃんが干し椎茸買うてったろ。故に道中リュックの中がカサカサいうことになっても、多少の舞い上がりも旅情のうちであるとしておこう。

写真は、すぐ近くにある大美和の森展望台からの眺め。大神神社の大鳥居と大和三山が望めるが、どれが何山やら忘れた。

狭井神社

狭井神社拝殿(92年撮影)

大神神社の境内社で、名泉「御神水[おこうずい]」で有名。三輪特産のそうめんや酒の製造にも使われ、古くから治病と長寿の霊水とされている。遠方からボトル持参で汲みに来る人も多い。薬効は何とも言えないが、酒どころ、麺どころの水はうまいに決まっている。

なんとここから神体山三輪山に登れる。三輪山は標高467m、松や杉の原生林に覆われた山腹に、古代祭祀遺跡・磐座の巨石群が残る。社務所でたすきをもらって山道に入ると、滝に打たれる人、白装束ではだしの人も。道ぞいに点在する磐座遺跡には、標縄がめぐらされ、小銭や丹念に磨かれた小石が供えてある。杉木立のなかでひとりになると、不意にぞくりとしたりもする。

※入山受付は狭井神社社務所。往復約2時間。9:00~16:00、200円。荷物は社務所に預けて。

檜原神社

檜原神社三ツ鳥居(92年撮影)

崇神天皇の時代、天照大御神[あまてらすおおみかみ]を皇居から移し祭った「笠縫邑[かさぬいむら]」の伝承地。

こちらはうってかわってからりと明るい。白砂に赤松の赤と緑が映える中に、独特の三ツ鳥居があるだけで、ここも三輪山を拝む形式だ。

たいへん由緒ある神社なのだが、見晴らしがよく桃畑越しに箸墓古墳などが望めるので、申し訳ないがお弁当を広げさせていただくにも便利だ。

山の辺の道 - たたなづく青垣

檜原神社から巻向へ向かう道(90年撮影)

纏向のあたりは、12代景行天皇が都を置いたと伝わリ、伝承地に巻向日代宮跡碑がある。景行天皇は倭建命の父にあたる。

このあたりのなだらかな山並みに抱かれた風景は、命の絶唱を思い起こさせる。

倭は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山隠[やまごも]れる 倭しうるはし

穴師坐兵主神社

穴師坐兵主神社拝殿(90年撮影)

穴師坐兵主神社[あなしにいますひょうずじんじゃ]は、延喜式神名帳にも見える格式高い神社。由来などに謎も多く魅力的な神社だが、今はひっそりとしている。境内は枝を地面に届くほど低く茂らせた楓が見事。紅葉のころに訪れたい。

境内社の相撲神社は、垂仁天皇が力自慢の当麻蹶速をこらしめようと、出雲の野見宿禰を呼んで力比べをさせたという伝承の地。両力士を祭る社と土俵がある。

箸墓(箸中山古墳)

全長276m、整った鍵穴型が美しい前方後円墳。夫・大物主神の正体が蛇だったことに驚いたために、神を怒らせてしまい、箸で自害したという伝承のある倭迹迹日百襲姫[やまとととびももそひめ]の陵とされる。卑弥呼の墓との説も。水量豊かな池に囲まれ、水鳥も多い。

山の辺の道をさらに北上すると、遺跡ロードの様相を呈してくる。景行天皇、崇神天皇の堀に囲まれた壮大な前方後円墳は、撮影スポットとして好まれているらしく、アマチュア写真家が何人も三脚を立てていることも。

ヤマトタケル像

各地のヤマトタケルゆかりの神社などにあったヤマトタケル像を集めてみました。

兼六園のヤマトタケル像

兼六園のヤマトタケル像(2002年撮影)

兼六園(石川県金沢市)にあるヤマトタケル像は、イグノーベル賞を受賞した“ハトを寄せ付けない銅像の化学的研究”のきっかけになったことでちょっぴり有名。なぜかこの像だけ糞害を免れていることに金沢大学の広瀬幸雄教授が着目、改修時に成分を調べたところ、砒素が多量に含まれていたそうである。

三峯神社のヤマトタケル像

三峯神社のヤマトタケル像(2003年撮影)

三峯神社は埼玉県大滝村に鎮座。祭神はイザナギ尊とイザナミ尊。ヤマトタケルが東征の際に甲斐の酒折宮から三峯山に登り、両神を祭ったと伝わる。

大鳥大社のヤマトタケル像

大鳥神社のヤマトタケル像(2003年撮影)

大鳥大社は大阪府堺市に鎮座。祭神はヤマトタケルと大鳥連祖神。ヤマトタケルが逝去後白鳥となって飛来し、最後にこの地にとどまったという社伝がある。