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現代語訳

此れに因りて思惟へば、猶吾既に死ねと思ほし看すなり

そこで天皇は、またもや重ねて倭建命に「東の十二道の人を害する神、また従わぬ者を言葉でもって平定し鎮めよ」とおっしゃって、吉備臣の祖先、御鋤友ミミ武日子を副えてお遣わしになる時、柊の長大な鉾を授けた。

そして、お言葉を受けて退出して行く時、伊勢の(天照)大御神の宮に参って、神における朝廷を拝んで、そしてその叔母・倭媛命に申し上げるには、「天皇はもはや私に死ねと思っておられるせいなのだろうか。どうして西の方の悪人どもを討伐しに遣わして、帰ってからまだまだあまり経たぬのに、軍勢も下さらないで、今、更に東の十二道の悪人どもを平定させに遣わされるのか。これから思うに、やはり私にもう死ねと思っておられるのだ」とおっしゃって、憂い泣いて退出する時に、倭媛命は、忌蛇剣[くさなぎのつるぎ]を授け、また御袋を賜って、「もし火急の事があったら、この袋の口を解きなさい」とおっしゃった。

原文書き下し

爾に天皇、亦[]きて倭建命に詔りたまひしく、「[あづま]の方十二[とをまりふたつ]道の荒ぶる神、及まつろはぬ人等を言向け和平[やは]せ」とのりたまひて、吉備臣等の祖、名は御鋤友耳建日子[みすきともみみたけひこ]を副へて遣はしし時、比比羅木[ひひらぎ]八尋矛[やひろぼこ]を給ひき。

故、[みこと]を受けて[まか]り行でましし時、伊勢の大御神宮[おほみかみのみや]參入[まゐい]りて、神の朝廷[みかど][をろが]みて、即ち其の[をば]倭比賣命[やまとひめのみこと]に白したまひけらくは、「天皇既に吾死ねと思ほす所以[ゆゑ]、何しかも西の方の惡しき人等を撃ちに遣はして、帰り參上り來し間、未だ幾時[いくだ]もあらねば、軍衆[いくさびとども]を賜はずて、今更に東の方十二道の惡しき人等を[]けに遣はすらむ。此れに因りて思惟[おも]へば、猶吾既に死ねと思ほし看すなり」とまをしたまひて、[うれ]ひ泣きて罷ります時に、倭比賣命、草那藝剱[くさなぎのつるぎ]を賜ひ、亦御嚢[みふくろ]を賜ひて、「[][とみ]の事有らば、この嚢の口を解きたまへ」と詔りたまひき。

十二道
「道」は国の意。要するに東海道の十二国で、十代崇神のときに建沼河別(八代開化の孫)が平定し、有力な天皇候補だった豊木入日子が統治を任されている。つまり景行は、崇神代に平定され、叔父が統治する東国を、重ねて平定せよと倭建に命じているのだ。なんで?
御鋤友耳建日子
妹の大吉備津比賣が倭建命に嫁ぎ、建貝兒王を産んでいる。紀では名を吉備武彦、娘の吉備穴戸武媛が倭建命に嫁いで武卵王を産んだとする。系譜が混乱しており、『姓氏録』も稚武彦(若日子建吉備津日子命)の子か孫か決めかねている。母方、そして妻の実家方の応援には間違いない。
比比羅木の八尋矛
棒の先に直角に刃をつけた武器。漢籍に、天子が将軍に誅罰を命じるときに、刑具の斧・[まさかり]を与える(淮南子「兵器略」)ことが見える。紀でははっきり斧鉞と書いてあり、中国で理想的とされる討伐のようすを真似たものと考えられる。
※日本書紀での東征出立
日本書紀では、日本武尊は兄大碓に役目を譲るが、大碓は怖がって逃げだしてしまい、これに呆れた天皇は美濃に追放して治めさせる。そこで尊は雄々しく東征に出立することになっている。
神の朝廷
伊勢神宮は、皇祖神天照大御神のいる神の世界の最高府なので、朝廷と言った。まずは皇祖神の守護とコトムケの成功を祈願して参拝するが、倭建は父に疎まれていることしか頭になかったようだ。
天皇既に吾死ねと思ほす所以か…
倭建は自分が天皇に疎まれる理由が判っていない。天皇は、熊曾建を殺すよう命令したのに、勝手に山河海峡の神や出雲建をも討伐した倭建に不満があるし、ますますその粗暴さを恐れるようになっている。
軍衆を賜はずて…平けに遣はすらむ
コトムケ=ムケ=武力で制圧することだと勘違いしている。先の「軍衆を賜はずて」も同じ勘違いからきたもの。天皇の言うコトムケは、「背く者には、まず威圧し、徳でもって懐柔し、武力を用いないで自発的に服属せしめよ。つまり、言葉でもって荒ぶる神を鎮め、武力でもって道理に外れた鬼を殺せ」(景行紀四十年七月)ということ。中国における聖人の理想的討伐をつぎはぎしている。ネグに続き二つめの、粗暴な性格からきた取り違えである。
草那藝剱
古事記の須佐之男のヤマタノヲロチ退治で、大蛇の尾から出た“都牟刈[つむがり]の大刀”で、別名は草那藝の大刀と書かれている。このときに剣ではなく大刀だったのは、まだ祭器ではなかったから。日本書紀は、もとは天叢雲剣[あめのむらくものつるぎ](大蛇の上にいつも雲がかかっていたから)といい、後に日本武尊が火難にあったときに、自然に抜けて草を薙ぎ払ったのでクサナギの剣という、とする。しかし、万葉の大家佐竹昭弘氏は『古語雑談』(岩波新書)で、はじめからクサナギで、その意味は「臭蛇(甚だしい威力のあるヘビ)」であろうと言っている。これに従うが表記は「忌蛇」としてみた。須佐之男はこれを天照に献上し、天照は孫の邇邇藝を降臨させるにあたって、八尺勾玉・鏡とともに与えた。この時点で祭祀的意味を持つようになり、大刀から剣に昇進。鏡が天照の象徴として伊勢神宮に祀られるにあたって、忌蛇剣も同時に伊勢に移されたものであろう。
ツムガリは語義未詳。私としては、頭頂をツム、ツムジということから「頭狩」と書いてみたがこわいのでやめた。士郎正宗の漫画「仙術超攻殻ORION」(青心社)に「対向刈」とあるのも興味深い用字。