山猫様はいばっていたかったのにね。
山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけてゆくはなし。必ず比較をされなけれはならないいまの学童たちの内奥からの反響です
賢治が自ら編んだ童話集、「注文の多い料理店」の巻頭作品である。読み手が頁を開けると、いきなり目に飛び込んでくるのは「をかしなはがき」の文面だ。誤字だらけの稚拙な葉書なのに、「めんどなさいばん」とか「とびどぐ(飛び道具)もたないでくなさい」とか偉そうなことを(恐らくはきちゃない字で)書いてあって、読み手(殊に子ども)は「なんだい、手紙もちやんと書けないのに偉そうなこと言つてやがらあ」と吹き出すだろう。こんなふうにして始まるお話が、ただの「みんな平等、競争反対、運動会の順位づけ禁止、PTA推薦(うへぇ)」である訳がない。
ええと、以下は主人公かねた一郎君に過剰な思い入れのあるヒトの個人的な解釈だから、興味のない方は読み飛ばすのが吉 :p)
子どもに対して無条件でいばっていたい大人にとって、これはおそろしいお話である。偉い山猫様に仕えている馬車別当は、「上着のやうな半纏のやうなへんなもの」を着た「をかしな形」であるが、自筆の葉書を誉めてもらいたがり、どんぐりたちに威張り散らす(彼、「ねこ」を平仮名で言うのよねw)。子どもである一郎は、はじめは同情心から、やがて別当の「いばっていたいきもち」を見抜いて、お世辞を言ったりする。恐るべき子どもである。
山猫様にしても「ひげをぴんとひつぱつて、腹をつき出して」話すさま、子どもの一郎にいきなり煙草を勧めるところ、勿体らしく黒い儒子の服(かなり暑いらしい)を着ながら「なかなほりをしたらどうだ」としか言えない裁判のようすなど、内実とちぐはぐな“威容”がユーモラスに描かれている。山猫様もいばっていたいのだ。
かしこい一郎くんは、「どんなどんぐりがいちばんえらいか」をめぐる裁判を、「えらい」という概念そのものを打ち砕くかたちで終結させる。どんぐりたちは一郎の判決を聞いて恐れ入ってしまうのだが、山猫様は一郎くんが自分のいばりようをも打ち砕く者であることに気付かない。つい「はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでせう」なんて威儀を正したがり、一郎くんは素直な気持ちで「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいゝでせう」と答える。きっと山猫様、威張った文面が使えないのが残念だったのだろう、二度と一郎くんに「をかしなはがき」は来なかったそうな。そして一郎くんは、「やつぱり、出頭すべしと書いてもいゝと言へばよかった」と、時々思うのだそうな。正鵠を射ている。やはり恐るべき子どもである。
以上、私の解釈おわり。ま、難しいことは考えず、瑞々しい感性を失っていない子どもと自然との詩情豊かな交歓、とかを読み取るのが楽しい読み方かもです。そして私はかねた一郎くんに敬意を表して、大人をへこますかしこい子ども系のオリジナルキャラクターを金田悟郎と名付けたのだった。
- 制作日
- 2001-09-16
- 画材
- Gペン、Painter classic1.0、Photoshop6.0
Other Version
- 山猫のにゃあとした顔 / どんなのだろうと思って描いてみた。こわくなった(2001-12-27)
- 偉いもんが偉いんじゃ(by どんぐり) / ちなみに、はがきの字は左手で書きました(1989)
book data
- 作者 / アーティスト
- 宮澤賢治
- 題名 / 収録物
- 「注文の多い料理店」 角川文庫クラシックス (amazon.co.jpで ISBN:4041040019を見る)
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